Tuesday 16 February 2010

Comparative Literature

For the modern literature class, we had to write an essay comparing one of the works studied in class, with a novel from our own culture (either compare by schools or themes). I chose Izumi Kyoka's Koya-hijiri ("The Holy Man from Koya") and Oscar Wilde's The Picture of Dorian Gray - since both contain bold elements of aestheticism - and wrote about how both works depict a relationship between beauty and sin.

泉鏡花『高野聖』とオスカー・ワイルド『ドリアン・グレーの肖像』との比較

耽美主義とは、美を唯一最高の理想とし、美の実現を人生の至上の目的とする生活の立場である。19世紀末、フランス・イギリスを中心に起こった。耽美主義をテーマとする文学作家の中ではオスカー・ワイルドなどが代表的である。ワイルドは芸術至上主義者であり、「美」を絶対のものとする耽美主義者でもあった。泉鏡花は耽美主義者として有名ではないが、『高野聖』は耽美主義の要素がたくさんあるので、ワイルドの名作『ドリアン・グレーの肖像』と比べることにした。また、特に耽美主義と罪悪の関係を調べることにした。

『ドリアン・グレーの肖像』はワイルドの唯一の小説である。物語の背景はビクトリア時代のロンドンであり、主人公のドリアン・グレーは若くて美しい貴族である。ドリアンは画家のバジルのモデルになり、そして彼の美しさはバジルを夢中にした。ドリアンはバジルの友人、ヘンリー・ワットン卿という貴族に会い、すぐにワットンの快楽主義の考えに影響されるようになる。バジルが描いたドルアンの肖像を見ると、ドリアンは自分が年をとることに対して悲しんだ。肖像のように永遠に若い容貌を所有できないものかと思い、できれば快く自分の霊魂を捨てるのが欲しいという。

ドリアンがシビル・ヴェーンという女優と婚約しており、彼女が本当の恋を知ったがゆえに舞台で恋する女を演じられなくなったため、ドリアンは彼女に興味を持てなくなる。そのことを本人に告げてしまうと、彼女は自殺らしき死に至る。その夜から、ドリアンが悪いことをするたびに、肖像にの、彼の顔が次第に年をとり、醜くなる。18年後、彼が自分の運命に対して不満を抱きので、そしてバジルを非難し、殺した。ドリアンは絵を滅ぼしたくて肖像画を刺し、間接的に自殺する。

まず、『ドリアン・グレーの肖像』と『高野聖』両方とも怪奇および超自然などを特徴としている。したがって、ゴシック派の文学作品と考えられる。さらに、両方とも美と悪徳との関連をつくる。耽美主義は美を道徳や宗教よりも美を優先させるため、場合によっては、モラルを無視する。『ドリアン・グレー』の序文で、ワイルドはこのように記していた―「美しいものがただ「美」のみを意味しうる者は選民である。道徳的な書物とか、不道徳な書物とかいうものはない。」

『高野聖』では、宗朝という高野山の僧侶が飛騨の山に住んでいる妖艶な女性に会い、彼女の魅惑的な美しさがにより微妙的に誘惑された。僧侶として、異性に対して性的な魅力および欲望を感じるのは罪悪である。誘惑と美は女にある。その一方は、『ドリアン・グレーの肖像』には美はドリアン・グレーにあるが、誘惑の源はワットン卿の説得および促進と思われる。なお、宗朝もドリアン・グレーも物語の終わりに自分の罪悪を悟るようになる。

その上、ドリアン・グレーも宗朝も美のために自分の良心を捨てる。もっとも、ドリアン・グレーは自発的に罪を犯すが、宗朝は受動的に、微妙的に女の美しさに影響された。したがって、『ドリアン・グレーの肖像』と『高野聖』は、両方とも主人公がファウストのように、物質的利益のために精神的価値を犠牲にする。そのほかに、物質的な美しさを強調するため、泉鏡花もワイルドも官能的に描写する文体を使う。物語には美学的に魅力的な直喩と暗喩が使われる。

要するに、泉鏡花の『高野聖』とオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレーの肖像』と比較すると、両方とも耽美主義の要素がたくさんある。怪奇および超自然の起こったことを使い、「美」と悪徳との関連をつくっている。両方の主人公は「美」を追い求めるため、自分の精神的な価値を捨てることになる。

(参考文献)
Wilde, Oscar. 1974. The Picture of Dorian Gray. London: Oxford University Press.
Izumi, Kyoka. 1996 “The Holy Man of Mount Koya” in Japanese Gothic Tales, translated by Charles Shiro Inouye, pp. 21-72. Honolulu: University of Hawai’I Press.
堀江珠喜著(1995)「耽美主義の作家たち―ワイルドと谷崎潤一郎を中心に」松村昌家編『比較文学を学ぶ人のために』世界思想社

2 comments:

  1. hmm... interesting writing!
    Recently I've done with 'The picture of Dorian Gray' and I thought the similar thing. We all can't own our beauty and even we don't know where it dwells; our appearances? hearts? minds? or pictures of ourselves? lol

    BTW although I'm studying English as you do Japanese, your Japanese is absolutely better than my English!! Great :D

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  2. Thank you for your comment pikakii :)

    I think we're all trying to look as beautiful as possible, both in appearance and in our hearts. It's very difficult though...

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