Monday 5 October 2009

Essays...already!

Classes don't start 'till 13th October but we were already given homework to do! Had to write 2 essays over the weekend as part of the placement test; one about my expectations/aspirations about studying abroad in Japan, and one on a cultural/linguistic/historical topic. The personal one is obviously easier to write about, and the academic one I basically wrote a Japanese synopsis of my first year essay on the Jesuit missionaries in 16th century Japan.

日本の留学生活を期待すること
大学で日本研究を専攻しているので、日本に留学しに行くことの目的はまず最初に日本語を練習と勉強だ。どのように日本語が上手になる、あれは最も重要なことと思う。イギリスで二年間日本語を勉強したが、日本人と会話を練習する機会が少ないから、日本に到着したとたんによく勉強しないざるを得ない気分を感じる。一生懸命に新しい文法と語彙を習わずにいらない。日本語は得手になりたいから。大阪大学に着いた時、国際的な留学生会館がびっくりさせた。留学生たちは色々な国から来て日本語を勉強する。留学の一年間日本の文化に限らず、ヨーロッパ及びアジアなどの異文化も習える。さらに国籍を問わず頑張ったら誰も日本語をよく喋れることを示す。
日本語がよくなるように、日本人の学生に会って会話を練習するに越したことはない。大阪大学のサークルを参加するつもりだ。同じことに興味を持っている学生と大学の生活を楽しみたい。
大阪大学に来た前に関西でホームステイを二回した。関西に滞在した期間で関西の文化と方言に興味を持つようになった。お好み焼きとたこ焼きなどの料理はおいしし、人々は親切だし、関西弁は面白し、その結果大阪大学を選んだ。大阪大学で留学の期間で関西弁を習い始めたい。
その上に、日本と東アジアの隣国の国際関係に興味を持っている。特に日本と北朝鮮の政治的な関係は面白いと思う。先ほど鳩山総理大臣が率いられる内閣は結成された。新しい内閣と北朝鮮の神秘的な政府の関係は予測できないので面白いと思う。大阪府は在日朝鮮人と韓国人が多いと聞いたので、どのように両国の関係がそれらの生活に影響することを理解したい。そして日本のマスコミで北朝鮮をどのように描かれることも探求したい。来年イギリスに帰る時、本学で卒業論文を書かなければならない。日本と北朝鮮の関係をめぐって書くつもりので、大阪大学で留学の間に適切な研究をしたい。
留学とはよく勉強だが、暇だったら日本の色々な地域に見物に行きたい。関西以外の文化も知りたくて、なるべく日本をよく理解したいから。

日本の歴史について
今の日本には約1パーセントの人がキリスト教を信じる。日本のキリスト教は1549年に始まった。ザビエルは日本に初めてキリスト教を伝えた。
初めて日本に着いたアジア以外の人はポルトダル人だ。1543年ポルトガルの船は南九州に到着した。その後ポルトガルの海員と商人はマカオ経由で長崎に貿易しに行った。
薩摩の大名の許可を得て、1549年ザビエルは鹿児島に日本の最初の教会を設立した。そして、ザビエルは上京の時に地味な服を着けたし、贈り物を持って行かなかったし、あそこキリスト教を伝えられなかった。したがって、山口の大名を訪ねた時、盛装したザビエルはヨーロッパのみやげ物を贈った。その結果山口にキリストを伝えることの許可を得た。日本人の興味を引くように、ザビエルは聖職者のイメージを変えてあった。
1551年の末にザビエルが日本を去った。その後ほかの宣教師は日本に着いた。日本の風習に順応させるように、宣教師らは仏教風の説教をしたり、日本酒を聖餐式のワインの代わりに使った。その上、和風の教会を建たれた。
織田信長が京都を統制するようになった後、仏教徒を弱くするように信長がキリスト教を支えた。京都・大阪地域に教会を建つことを助けた。
いくつかの大名はキリスト教徒になったため、その大名の家来はキリスト教に改宗しずにはいらなかった。宣教師は学校を始まって、武家の息子にラテン語とポルトガル語、ヨーロッパの芸術とキリスト教を教えた。一団の学生はヨーロッパへ行って、ローマ教皇にお会いになった。
17世紀に日本のキリスト教徒は三十万人いた。同じ時に中国のキリスト教徒(リッチが中国人をキリスト教に改宗させた)は四百人いた。統計的に見ると日本の宣教師のほうが中国のより成功だったと分かる。
そして、豊臣秀吉と徳川家康がキリスト教徒と宣教師を迫害した。しかし、ある教徒が九州に居残る。統計的に日本の宣教師は改宗に成功したと言っても、キリスト教の原物を伝えなかった。それにもかかわらず、いくつかのキリスト教徒が迫害に耐えた。そして宗教の自由を回復した時にその教徒は説教することを再び続けた。

1 comment:

  1. jesus.
    i'd read that but... you know, i wouldn't finish it until Christmas 2013.
    we got hwk before classes started too.
    it was like, a 5 line essay though...

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